小説が苦手の原因は?「精神年齢が低い」でごまかす国語指導者を斬る

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 国語

「国語で小説が苦手」と言う生徒がいます。算数や数学が得意な理系タイプの男の子は、説明文や評論は得意でも、小説が苦手な場合が少なくありません。

こういう生徒たちに対して、「小説が苦手なのは、心情を理解できないからだ。そして、心情を理解できないのは、精神年齢が低いからだ」と言う国語指導者がいます。こうした言葉は正しい面もあります。登場人物の言動や情景描写とそこに込められた心情とを結び付けるには、ある程度の人生経験や読書経験が必要だからです。

とはいえ、「小説が苦手」の原因を何でもかんでも「精神年齢」のせいにして、有効な対策を練らないのであれば、それは国語指導ではありません。「精神年齢」という言葉でごまかさずに、多くの生徒たちが抱える「小説が苦手」の根本原因とその対策を考えましょう。

「小説が苦手」という生徒たちの3つの傾向

次の文章を読んで、後の問に答えなさい。

久美は泣き出した。テーブルの上には六十点のテストがあった。

「久美が六十点を取るなんて初めてのことね。この点数がそんなに悔しかったのかい?」

明子の言葉に久美がこくんと頷いた。

明子が久美とテストを見比べる。

「でも、取ってしまった点数は、もうどうにもならないわ。しかたないじゃない。次がんばればいいだけよ。そうでしょう?」

明子に促され、久美は涙をぬぐった。

「はい……次……がんばります……」

何とか声を絞り出して答えたものの、久美にとって、テストはもはや他人事だった。このとき久美は聡の言葉に捕われていた。

一週間前、公園の噴水前で聡が久美に言ったのだ。

「君とはもう一緒にいられない。君と僕とは考え方が違うってよく分かったんだ。終わりにしよう」

久美は、「終わりにしよう」の意味を理解できなかった。あまりにも突然のことだったから。

「君と一緒に過ごした時間は本当に楽しかった。ありがとう」

聡はニッコリ微笑んだ後、久美に背を向けた。そのまま公園の出口へと歩いて行った。

久美はその場に立ちすくんだ。聡を追いかけないと――心の声を体が無視する。どうしても動けなかった。聡の背中がどんどん遠ざかっていくのに……。

この日以来、久美は聡に連絡していない。聡との関係が終わったことを認めたくなかった。しかし、現実は重く久美にのしかかってきた。当然、テスト勉強も手に付かなかった。

――ありがとう。

久美の頭の中に、聡の最後の言葉が響き渡った。再び久美の頬を涙が伝い落ちた。堰を切ったように、感情がとめどなく溢れ出す。久美にはもう止められなかった。

目の前で泣き崩れる娘に、明子はただとまどうだけだった。

問、「久美は泣き出した。」とありますが、このときの久美の気持ちを簡潔に説明しなさい。

この例題を使って、「小説が苦手」という生徒たちの傾向を分析してみます。

ありがちな誤答は、「テストの点数が悪くて悔しいという気持ち。」です。これのどこがまちがっているのかを考える前に、「小説が苦手」と言う生徒たちの傾向を3つ紹介します。

1. 「傍線部の前後に答がある」と思い込んでいる

「テストの点数が悪くて悔しいという気持ち。」は、傍線部の直後にある「この点数がそんなに悔しかったのかい?」という明子の言葉がもとになっています。こういう誤答を書く生徒たちは本文全体を読んでいません。彼らは、「傍線部の前後に答がある」と思い込んでいます。

「傍線部の前後に答があります」と言う国語指導者(?)がいます。傍線部の前後に答がある問題が多いのは確かです。しかし、そのことから「傍線部の前後に答があります」と一般化してはいけません。

傍線部の前後に答があるにしても、そうなる理由をきちんと説明すべきです。たとえば、傍線部に指示語があるから直前の文に答がある、などです。

こうした説明を省いて、「傍線部の前後に答があります」だけを主張するのはインチキです。このインチキのせいで、「傍線部の前後に答がある」と思い込む生徒たちが量産されます。

抜き出し問題など、問題の形式によっては、傍線部の前後だけ眺めても答を見つけられません。また、記号選択問題や記述問題でも、傍線部から離れた箇所に答がある場合もあります。傍線部の前後に答があるとは限りません

2. 本文をきちんと読むという「当たり前」ができていない

小説は、説明文や評論とは異なり、表面的な論理だけを追っていると失敗します。現在の出来事の間に回想シーンが挿入されたり、一見すると「無意味な」言動や情景が描かれたり……これらに惑わされないためには、時間軸を意識することや表現の裏に隠された心情を読み取ることが求められます。

こうした読解のスキルを習得したければ、本文をきちんと読むという「当たり前」のことがスタートラインです。一方で、多くの生徒たちはこの「当たり前」ができていません。

このタイプの生徒たちは、「本文を読むときは、心情を表す言葉に印を付けましょう」という安易なテクニック(?)を教わると、「嬉しい」「悲しい」などの直接的な心情表現にだけ印を付けて、それらを見て問題を解こうとします。

上位校の問題になればなるほど、直接的な心情表現だけを見て解ける問題は少なくなります。それなのに、心情を表す言葉「だけ」をたどって主題(=主人公の心情の変化)を読み取ろうとするのは無意味です。テクニック(?)に頼った雑な読み方ではなく、一文一文を丁寧に読むことが大切です

3. 小説の読解を説明文や評論の読解とは別物だと考える

「国語が苦手」と言う生徒たちは、小説の読解を説明文や評論の読解とは別物だと考えます。

しかし、小説の読解も、原則として評論や説明文の読解と方法は大きく変わりません。本文中から正解の根拠を探すためのテクニックは、小説でもそれ以外の文章でも共通です。言葉の意味や文のつながりなどを意識しながら、客観的に正解の根拠を探しましょう

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「小説が苦手」を克服するための具体的な対策

例題の解き方を解説しながら、「小説が苦手」を克服するための具体的な対策を提案します。

言動と気持ちの食い違いに気付く

「テストの点数が悪くて悔しいという気持ち。」という誤答を分析しましょう。

傍線部の直後には、「この点数がそんなに悔しかったのかい?」という明子の言葉があります。この言葉に対して、久美は「こくんと頷い」ています。

しかし、先を読んでいくと、「久美にとって、テストはもはや他人事だった」とあります。ここから、久美の言動と気持ちとが食い違っているとわかります。

テストの結果について話す明子に久美は反応していますが、久美の気持ちはテストに向かっていません。したがって、「テストの点数が悪くて悔しいという気持ち。」は誤りです。

ここまでは、傍線部の前後だけでなく、先を読み進めていけば気づけるでしょう。問題を解き始める前に、本文を最後まで読んでしまうことが大切です。

回想シーンの範囲を見極める

さらに読み進めると、「一週間前」という言葉があります。ここから回想シーンが始まります。小説読解で大切なのは、時間軸を意識することです。なぜなら、登場人物の心情は、時間の経過とともに変化するからです。というわけで、「一週間前」のような、時間を表す言葉をチェックしましょう。

回想シーンはどこまで続くのでしょうか?

「――ありがとう。」の後に、「再び久美の頬を涙が伝い落ちた」とあります。また、最後の文には明子が登場しています。これらのことから、「――ありがとう。」の前までが回想シーンであると判断できます。

「ありがとう」の意味を確認する

本文の最後の方に「感情がとめどなく溢れ出す」とあります。この「感情」が涙の原因です。どんな感情なのかは直接書かれていませんが、「聡の最後の言葉」がきっかけとなった感情であると読み取れるはずです。

「聡の最後の言葉」は直前にある「ありがとう」です。この「ありがとう」を回想シーンの中から探すと、「君と一緒に過ごした時間は本当に楽しかった。ありがとう」にたどり着きます。

この言葉の前に聡は「終わりにしよう」と言っています。さらに、回想シーンの終わりの方に「聡との関係が終わった」とあるので、「ありがとう」は単なる感謝を表しているのではなく、別れを告げているのだとわかります。久美は聡にふられたのです。

ここまで読み取れれば、久美がどうして泣いていたのかが推測できます。

ふられたらどういう気持ちになりますか?

普通の人なら「悲しい」ですよね?

以上より、例題の解答例は「聡との関係が終わったことを悲しむ気持ち。」です。

このように、ヒントとなる言葉をたどることで、心情を推測する根拠を集められます

集団授業は生徒一人一人の国語を伸ばせない

小説が苦手な生徒たちは、ほとんどの場合、本文をきちんと読んでいません。分かりにくい描写や一見すると「無意味な」描写を華麗にスルーしています。この程度であれば、「精神年齢」の高い低いにかかわらず、訓練次第で改善できることです。

小説が苦手な生徒には、本文を音読させながら、難解な表現の意味や解釈を答えさせるのが効果的です。彼らが解釈できない表現については、指導者(保護者)がかみ砕いて教えてしまって構いません。加えて、評論読解などにも共通する正解の根拠の見つけ方も教えるとよいでしょう。これらを指導者(保護者)が実施すれば、生徒の「小説が苦手」という意識を緩和できます。

もっとも、集団授業だと「生徒一人一人に合わせて」が無理なので、小説が苦手な生徒たちはいつまでも苦手なままです。このような機能不全の結果として、「小説が苦手なのは、心情を理解できないからだ。そして、心情を理解できないのは、精神年齢が低いからだ」という逃げ口上が生まれるのでしょう。

まともに機能していない集団授業を受け続けるのは時間とお金と労力の無駄です。「精神年齢」でごまかす国語指導者(?)の言葉に惑わされず、集団授業に出るのをやめて、有効な対策をしてくれる別の国語指導者を探しましょう。

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トップ画像=フリー写真素材ぱくたそ / モデル=河村友歌

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