国語で同じ問題を解き直すのは無意味?三流国語指導者を見分ける方法

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 国語

さまざまな迷信がはびこっている国語(特に現代文)指導。ある国語指導者(?)は次のように言います。

  • 国語では、同じ問題を解き直すことに意味はありません。一度解いた問題は答を覚えてしまうからです。
  • 入試では、過去問と同じ文章が出題されることはありません。だから、過去問を解いてもメリットがありません。

これらの意見は本当に正しいのでしょうか?

国語の勉強で大切なことは何か?

国語(現代文)の勉強で大切なことは何ですか?

一度解いた問題の答を覚えることですか?

本文内容を理解してしまえば終わりですか?

どちらもNOです。国語の勉強で大切なのは、どんな文章が題材になっても同じ手順で問題を解けるようにする、ということです。解き方の手順を習得するためには、一度解いた問題の解き直しが有効です。

生徒の答案にある「正解」の正体は?

「でも、生徒が正解した問題まで解き直しをさせるのは時間の無駄ですよね?」という意見をよく耳にします。しかし、そもそも「正解」とは一体何なのでしょうか?

僕は、生徒の答案を見直しながら、生徒本人に事情聴取します。特に、記号選択問題では、生徒の答案にある赤丸を徹底的に疑います。

  • どうしてその答になったの?
  • 本文中のどこに答の根拠が書いてあるの?
  • 他の選択肢はどこが間違っているの?

こういう質問を生徒にすると、生徒がどんどんボロを出していきます。生徒が言う「正解」は、多くの場合、次のようなレベルなのです。

  • 勘で選んだ記号がたまたま当たった。
  • 本文に根拠を求めずに選んだが当たった。
  • 解き方の手順を間違ったけれども、たまたま当たった。

まるでクイズか運試しのような実情。「正解」ではなく、「当たった」というだけ。生徒が誇らしげに見せてくる赤丸は、ほとんどが「正解モドキ」です。

正解に至る手順を再現できるか?

僕の国語指導では、生徒の「正解モドキ」を徹底的に潰します。「どうしてその答になったの?」という僕の問いに対して、僕が納得できるレベルの説明を返せるまで生徒を問い詰めます。もちろん、そうした問答形式の指導を行う前に、問題を解く手順を教えます。

解き直しで手順を再現する

僕の指導を受けた生徒には、僕と一緒に解いた問題の解き直しを指示します。「3日後くらいに、僕が教えた手順を再現できるかどうか、もう一度解き直してみて」と。

解き直しの際には、正解を選べて当然です。そんなことはどうでもいいのです。大切なのは、正解に至る手順をきちんと再現できるかどうかです。

類題よりも、一度解いた問題

「指導時に扱った問題は一度解いているので、類題を大量に解かせた方がいいです」という意見もあります。しかし、僕はこの意見に反対です。

算数や数学ならば、大量の類題演習にも意味があるでしょう。なぜならば、数字を変えただけの問題をたくさん用意できるからです。

一方、国語の問題となる本文は、一つとして同じものがありません。本文が異なれば、せっかく教わった手順をどう再現していいのか、生徒たちは混乱します。

生徒を意味もなく混乱させないために、僕は、一度解いた問題を解き直させます。まずは、同じ問題を使って、僕が教えた手順を完璧に再現できるか、を試してもらうのです。僕が生徒に求めるレベルは次の通り。

  • 他人に解き方を説明できるようにしよう。
  • 選択肢問題では、正解以外の選択肢の間違い箇所も指摘しよう。

こういう復習方法を積み重ねた生徒からは、間違いだけでなく「正解モドキ」も減っていきます。

本文を精読して要約する

全ての問題を正しい手順で解けるようになったら、次は本文の要約。百字程度に本文をまとめる作業は、筆者の主張を的確に捉え、それを適切な言葉でまとめる訓練になります。ここまでこなした生徒は飛躍的に成績を伸ばします。

また、解き直し・要約などを通して、同じ文章を何度も読ませること自体にも意味があります。本文の精読によって、生徒の頭の中には、語彙や背景知識などが定着します。こうした知識は生徒にとって教養となり、その後の勉強にも役立ちます。

類題を解かせるのは、生徒にここまでやらせた後で十分です。一度解いた問題ですらろくに解けない生徒に大量の類題を与えては、彼らを消化不良にしてしまうだけです。

国語の勉強は時間や労力の無駄?

正しい方法で国語を勉強しないと、時間や労力をかけた割に結果が出ない、という悲劇が起こります。というか、ほとんどの生徒たちは、この悲劇の渦中にいます。

もっとも、国語の成績がアップしない生徒たちは、不真面目なわけでも、勉強量が足りないわけでもありません。彼らは何も悪くありません!!

国語の授業では何も教わらない

諸悪の根源は、学校や塾などの国語の授業です。

多くの国語指導者(?)は、本文内容を丁寧に解説します。黒板にでかでかと図式やら表やらを書いて、雑談も交えながら、それはもう一生懸命に……。一方で、「どうやって問題を解くのか?」という手順をあまり教えません。せいぜい「接続語を見よう」「指示語の内容を確認しよう」程度。指導者(?)によっては、「小手先のテクニックに頼っているようでは、国語の成績は上がらない!!」と言い始めます。

理系的思考のできない自称「文系」人間が語る「本質」という名の泥沼
テクニックを否定したがる国語指導者は「本質」が大好きです。この「本質」とは一体何なのでしょうか?理系的思考における「本質」と比較してみます。

そんな指導者(?)に教わる生徒たちに、「国語の授業で何を教わってるの?」と僕は質問します。すると、彼らは首を傾げます。彼らは、国語の授業で何も教わっていないのです!本文の解説をダラダラと聞いているだけ!何という悲劇!!

挙句、生徒たちの成績を下げている指導者(?)たちは口をそろえて言います。

「国語では、同じ問題を解き直すことに意味はありません。もっとたくさん類題を解いてください!」

こんな戯言を真に受けた生徒たちは、憐れ!問題を解けば解くほど成績が下がっていきます!!

過去問を何度も解き直しなさい

僕は、予備校時代に、国語科のO先生にとてもお世話になりました。O先生は、問題を解く手順を明確に示してくれました。同時に、「過去問を何度も解き直しなさい」と言っていました。

O先生自身も、学生時代・予備校講師時代を通して、過去問を何度も解き直したといいます。書き込みと手垢で真っ黒になった過去問集をO先生は僕たちに見せてくれました。その過去問集は、真の国語指導者の証でした!

僕は、O先生のおかげで、国語の偏差値が20~30アップしました。予備校時代に解いた問題は、O先生が指定したテキストと東北大の過去問だけ。これで十分でした。

国語指導者の力量を図るには?

「国語の成績が伸びない」と悩んでいる生徒(と、その保護者)は、自分が教わっている国語指導者に「国語では、同じ問題を解き直すことに意味はありますか?」と質問してみるといいでしょう。

返事が「意味はありません。大量に問題を解くことが大切です」などだったら、その指導者は国語指導に関して三流です。三流に教わったところで、国語の成績がアップするわけありません!

そんな指導者(?)にはさっさと見切りをつけて、別の国語指導者を探すことをおすすめします。

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トップ画像=フリー写真素材ぱくたそ / モデル=Max_Ezaki 河村友歌 大川竜弥

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