都立高校入試の大問4(評論文)では、必ず200字作文が出題されます。「あなたが話す言葉を具体的な体験や見聞も含めて二百字以内で書け。」という設問です。

これに多くの生徒たちが頭を抱えます。彼らは、「具体例や体験談を書けない!」と口をそろえます。そもそも「具体例や体験談の素材がない」そうです。
作文を苦手とする生徒たちに対するアドバイスを本記事で公開します。
筆者の主張をふまえて結論を決める
都立高校入試国語の作文に限らず、入試や定期試験で出題される作文問題では、結論を先に決めることが大切です。
特に、評論問題などの一つの設問として作文が出題される場合、結論が点数に大きく影響します。「本文をふまえて」などと指示があるならなおさらです。
「本文をふまえて」とある以上、筆者の主張に対して賛成もしくは反対というのが結論です。このように結論を述べることが、「本文の趣旨に即している」ことになります。
たとえば、本文中で「人間関係では、言葉を用いたコミュニケーションが大切だ」と筆者が述べているとします。受験生が書くべき結論は次の通りです。
人間関係では、言葉を用いたコミュニケーションが大切だ、という筆者の意見に私は賛成です。
この後に、「言葉を用いたコミュニケーション」の具体例や体験談を考えます。具体例や体験談を書き綴った後に結論を決める、という随筆的な書き方はNGです。
作文の具体例は本文に即していれば何でもいい
都立高校入試国語の作文における体験談や具体例は、本文の趣旨に即していれば何でもいいのです。そうはいっても、生徒たちは悩みます。その理由は何なのでしょうか?
「感動的な事実を書くべきだ」という呪縛
生徒たちが悩む原因は、「感動的な事実を書くべきだ」という呪縛にあります。たとえば、「言葉を用いたコミュニケーション」の具体例ならば、次のような例を書かなければならないと思っているのです。
先日、私は祖母のお見舞いに行きました。祖母は寝たきりで、誰がお見舞いに来ても、ほとんど反応がありません。しかし、その日、私は祖母にいろいろ話しかけました。学校での出来事、家族で行った旅行の思い出、そして、5年前に祖母からもらった腕時計が受験で役立っていること。私がとりとめのないことをたくさん話していたら、祖母はニッコリほほ笑んだのです。私の両親も驚きました。
たしかに、こういう例があれば作文も書きやすいでしょう。しかし、入試国語の作文ごときで、誰もが感動するような体験を書く必要などありません。日常のありきたりな出来事をネタにすれば十分です。
ストーリーを創作する
実体験が何も思い浮かばないならば、本文の趣旨に即したストーリーを創作しましょう。ありそうな話をでっち上げればOK。
「創作」というと、一部の生徒は表情を曇らせます。「ウソを書くのはよくない」と思い込んでいるからですね。しかし、入試作文で書かれたウソを、採点者はウソと見抜けるのでしょうか?受験番号と氏名しか個人情報の書かれていない答案から、「こいつ、ウソを書いてるな」と判断できますか?
当たり前ですが、否です。というわけで、「ウソを書きたくない」という生徒にも、とりあえずそれっぽいことを書かせます。
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