小説問題で登場人物の心情をどう答える?客観的読解と深読みの境界

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 国語一般
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大学の文学部で行われる「購読」

小中学校の国語教育は、大学の文学部で行われる「購読」に近いように思います。

僕は、大学生時代、国語の教員免許を取得するため、国文学の購読に参加していました。そのとき、「購読では、多様な読みの可能性を開くことを目的としています」と教授は話していました。

解釈の可能性に目を向ける

教授がわざわざ購読の目的を話してくれたのは、僕がいちゃもんをつけたからです。

「文学部で行われる文学作品の解釈は、法学部の条文解釈と違って、厳密さを欠いている。一義的な解釈を決められないならば、文学研究は『学問』や『科学』といえないのではないか?」

当時の僕は、クソ生意気なことを言っていたんですね(笑)。そんな僕に対して、文学作品の一義的な解釈を追求するのではなく、「こういうふうにも読めるよね」という解釈の可能性に目を向けてほしい、ということを教授は教えてくれました。

鑑賞に偏った国語の授業が混乱をもたらす

大学は、多角的な視野を養うための場でもあります。そういう意味で、大学で文学作品を購読する意義はある、と僕も思います。もちろん、大学の購読のような鑑賞は、生徒たちの感性を養うために、小中学校でも行われるべきです(美術や音楽などの「実技科目」と同じ扱いとして)。

しかし、鑑賞に偏った国語の授業が、客観的読解を求められる入試国語と連動していない、という点は問題視されるべきでしょう。受験生たちが混乱し、「国語はフィーリングで解く」などという迷信が蔓延しているからです。

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