怠惰故に大学受験で失敗した子どもの浪人希望を保護者は認めるべき?

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 生徒・保護者

第一志望の大学に合格した受験生たちは、春から始まるキャンパスライフに思いを馳せていることでしょう。一方、第一志望の大学に不合格だった受験生たちは、悲嘆に暮れているかもしれません。

大学受験は全国レベルの戦いです。有名大学の倍率は高く、高校受験とは比較にならないくらい過酷な競争となります。不合格者も少なくありません。とはいえ、今年の受験で涙を呑んだ受験生は、素直に現実を受け入れられるでしょうか?

滑り止めで合格した大学に進学するか?それとも、浪人して第一志望に再チャレンジするか?

このようなジレンマに苛まれる受験生は多いはずです。そして、悩んでしまうのは、受験生本人だけではありません。

子どもの不合格に悩む保護者

不合格となった受験生以上にあれこれ考えるのが彼らの保護者です。「浪人して第一志望を目指したい」と子どもが言い始めたらなおさらです。

もっとも、次のようなケースならば、保護者もあまり悩まないでしょう。

  • 子どもが滑り止めを受けず、進学できる大学が無い。
  • 子どもが第一志望を目指して必死で勉強していた。

こういう子どもが「浪人する」と言うならば、多くの保護者はOKを出すと思います。しかし、さっぱり勉強していなかった子どもが、滑り止め大学には合格したが案の定第一志望の大学に落ちて「浪人する」と言う場合、それを認めるかどうかが保護者の悩みどころです。

既に支払った滑り止め大学の入学金を放棄し、更に一年間予備校通いの費用まで捻出して、怠惰故に失敗した子どもの浪人を認めるべきでしょうか?

そもそも、一浪したくらいで、子どもが第一志望に合格できるのでしょうか?

子どもが浪人してまで入りたいという大学が、MARCHや関関同立のレベルならば、一年間必死で勉強すれば合格するかもしれません。しかし、それより上の最難関大学になると、一年間必死で勉強したくらいではどうにもならないことが多いです。

したがって、怠惰故に失敗した子どもが旧帝大や早慶、医学部などを志望する場合、安易に浪人を認めない方が賢明です。

子どもの浪人を認める基準

怠惰故に失敗した子どもが最難関大学合格を目指して浪人するのはリスキーです。しかし、以下の2つの基準のうちどちらか一方だけでも満たしている子どもなら、一年間の浪人生活で志望校に合格する可能性があります。

  1. 過去に必死で何かに取り組み、結果を残したことがある。
  2. 高校時代は進学校に通っていた。

1. 結果を残したことがある

1の基準でいう「何か」とは、中学受験や高校受験、部活など、何でも構いません。そうした「何か」のために一生懸命取り組んで、志望校合格や県大会進出など、結果を残した実績のある子どもなら、一年間の浪人生活でガラッと人間が変わることもあり得ます。

一方、頑張った経験はあっても一度も結果を残せてこなかった子どもには、ほとんどの場合、“負け癖”がついています。そういう子どもは、浪人しても、それこそ何浪しても、第一志望に入れない可能性が高いです。

2. 進学校に通っていた

2の基準は、子どもが卒業した高校の進学実績を見てください。最難関大学への進学者が全体の数%しかいない高校は進学校ではありません。

非進学校に通っていた生徒の多くは基礎学力が壊滅しています。中学レベルの英語が分からないとか、日本語の文章をまともに書けないとか、単純計算に時間がかかる上にミスが多いとか、このレベルの生徒がゴロゴロしています。

非進学校の生徒が基礎学力の補強からやり直すとなると、一浪では到底間に合いません。どんなに頑張っても最難関大学には手が届きません。

家庭の経済事情も考える

子どもの浪人を認めるかどうかは、「子どもの可能性を信じる」といった主観的な判断ではなく、ここまでで紹介した客観的な基準で考えることが大切です。そして、客観的な基準の中には、家庭の経済事情も含まれます。

最近は、子どもに甘い保護者が増えました。子どもに言われるがままお金を出す保護者も珍しくありません。子どもの「やりたい」を満足させるため、何百万もかけてさまざまな習い事をさせ、塾通いをさせ、私立の中高に通わせ……が当たり前になっている家庭があります。子どものためにかなり無理をしてお金を捻出している家庭は本当に大変です。

予備校や塾の多くも、「子どものためにお金をかけるのは親の義務だ」という論調で保護者を煽ります(そこには、子どもをダシにして保護者からお金を引き出そうという狡猾な営業戦略が見え隠れします)。

しかし、このようなお金のかけ方が本当に子どものためになっているかは疑問です。

モラトリアム人間誕生

高校を卒業した子どもは、親からの自立を考えてもいい年頃。それにもかかわらず、子どもの怠惰な浪人生活を支援するのは、本当にその子どもの将来に資するのでしょうか?

保護者がお金をかければ、子どもの「今」は満たされるでしょう。一方で、子どもが社会人として独り立ちする機会は先延ばしされます。

ずっと以前、僕と同い年(当時20代後半)の大学生と話したことがあります。彼は「論文を書きたい」「公務員試験も考えている」と言いながら、大学を転々としていました。

多くの20代後半は社会人として活躍し、人によっては家庭を築いています。一方で、大学生の彼はダラダラとモラトリアム期間を満喫。それが可能だったのは、彼の両親が金に糸目を付けずに彼を支援し続けてきたからです(彼の生活費から学費まで、彼の両親が全て負担していました)。

子どもの浪人生活をどう支援するかによっては、この例のような典型的なモラトリアム人間が誕生してしまいます。

「お金を出せない」という愛情

僕が浪人時代に通っていた予備校には、4浪、5浪している医学部志望者が何人もいました。法科大学院在学時も、旧司法試験に10年近く挑戦し続けてきた「ベテ」(「司法試験受験のベテラン」という意味)の姿を見ました。こうしたモラトリアム人間の背後には、子どもを支援し続ける保護者の存在がありました。

「子どもの可能性を信じる」と保護者がお金を出し続けた結果、子どもの将来が潰れてしまった、では話になりません。

そんな悲劇を引き起こさないためにも、怠惰故に失敗した子どもに対して「お金を出せない」と伝える勇気が保護者には必要です。保護者に経済的支援を断られた子どもは、そこで初めて自らの怠惰を反省し、具体的な将来像を思い描くからです(浪人時代の僕も、「お金を出せない」という両親の言葉で目が覚め、現実的な志望校を決定しました(笑))。

その際、次の一言を付け加えるといいでしょう。

浪人生活で時間を浪費するよりも、大学受験の失敗を教訓にして就活で結果を出しなさい!!

経済的に裕福な家庭であればあるほど、子どもの浪人希望に対してはシビアであるべきです。そのシビアさこそが本当の愛情だと僕は思います。

まずは親子の話し合いから

以上は、「怠惰故に大学受験で失敗した子どもが浪人を希望したら、それを認めるべきか?」という保護者の悩みに対する僕なりの考えです。

当然のことながら、一生懸命頑張っている受験生の保護者には関係のない話です。また、浪人生活が子どものプラスになると考えられるならば(子どもの志望校のレベルがそこまで高くないならば)、基準を緩めても構わないでしょう(僕の両親は、「浪人生活が、将来、あんたのプラスになる」と考えて、怠惰な受験生だった僕の浪人生活を認めたそうです)。

いずれにしても、親子でじっくり話し合うことが全てのスタート地点です。

トップ画像=フリー写真素材ぱくたそ / モデル=大川竜弥

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