情報処理能力が読解力よりも大切?入試の長文化で受験生がすべきこと

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 教育論

最近、中学入試・高校入試・大学入試、さらには資格試験のすべてで長文化傾向が見られます。塾や予備校の講評でもこのことが指摘されてきました。

長文化傾向は、国語や英語の入試で顕著ですが、理科や社会でも実験解説の文章や選択肢が長くなっています。

本記事では、入試における長文化傾向について考察します。

精読が重要か?速読が重要か?

国語や英語の指導者間では、「精読が重要か?速読が重要か?」という対立がしばしば見られます。精読派にも速読派にも言い分があり、どちらが正しいとは一概に言えないように思います。

僕の立場としては、以前から一貫して精読派です。「一文一文を正確に読めなければ、そもそも速く正確に読めない」と考えるからです。しかし、僕の精読に対する姿勢は、一般的な精読派とは違います。

市販の参考書や塾・予備校の指導では、「精読」は「文章全体の完璧な理解」を指すようです。現代文であれば、本文を丁寧に図解します。古文であれば、全ての文を品詞分解します。英語であれば、全ての英文にSVなどを書き込みます。こういうことを最初で行った上で、各設問の解説に入っていくのが一般的です。

確かに、基礎レベルの授業ならば、こうした丁寧な精読は有効でしょう。しかし、入試問題の演習段階でまで、丁寧な精読は必要ないと考えます。そのため、僕が「精読」として求めるのは、一般的な「精読」ではありません。

問題を解くのに必要な箇所を探す

僕は、次のことを生徒たちにいつも言っています。

本文全体を完璧に理解しなくてもいいから、問題を解くのに必要な箇所だけ完璧に理解しなさい。

「問題を解くのに必要な箇所」は、設問中のヒントをもとに本文中から探して見つけます。そのため、僕の指導では、「問題を解くのに必要な箇所」の探し方をまずは教えます。(ただし、問題を解く前に本文を最初から最後まで読ませます。「設問を見てから本文を読みなさい」と指導しているわけではありません)

国語の長文読解にはコツがある!本文の読み方と問題の解き方を考える
「国語が苦手」「国語ができない」のほとんどは単なる思い込みです。「国語はパズルゲームだ」という意識で、本文から解答の根拠を探しましょう。

本文を全く読めない生徒を教える場合は、本文を最初から一文一文理解していく一般的な「精読」も行います。しかし、「本文には何が書いてあった?」という質問に対して「●●について書いてありました」と答えられる生徒にまで一般的な「精読」をさせるのは時間の無駄ですし、それを延々とさせられた生徒たちは国語や英語の読解を嫌いになります。

このような無駄な上につまらない国語の授業が、今でも多くの塾で行なわれています。更には、本文の内容を把握している生徒に対して、「もっと深く読みなさい」などと言う指導者もいるようです。そもそも「深く読む」の意味がわかりません。

さて、僕の指導では、「問題を解くのに必要な箇所」を生徒に探させた後、その見つけた箇所について、徹底的に文の構造把握や解釈をさせます。「精読」といっても、このレベルで十分です。

情報処理能力が読解力より大切?

長文化傾向が顕著な昨今の入試では、ちんたらちんたら本文を読む一般的な「精読」や、その「精読」によって培われる「読解力」では対応できません。ここで必要となるのは、

膨大な情報から必要な情報を見つけ出し、速く正確に問題を解決する情報処理能力です。

2021年度から、それまでのセンター試験に代わって大学入学共通テストが導入されました。大学入学共通テストでは全科目が長文化し、与えられた資料から必要な情報を的確に見つけることが求められるようになりました。中学入試や高校入試も大学入試改革に追随しているようです。

そもそも入試が長文化しているのはなぜでしょうか?

たとえば、パソコンの説明書はとても分厚いです。この説明書を使ってパソコンのセットアップをしようとするとき、説明書を最初から最後まで読んで、書いてあることを完璧に理解しようとする人はいません。普通は、目次や索引を使って「セットアップ」のページを探し、必要な情報だけを拾い読みするはずです。

もちろん、パソコンの説明書をデジカメの説明書だと思っていたら、「説明書を読んでも理解できない」となるでしょう。しかし、ここまでひどい誤解をしない限り、説明書の必要な箇所を拾い読みすれば、パソコンをセットアップできます。

ネットを使った情報収集もパソコンの説明書と同様です。「日本の経済」について知りたいからといって、ネット上にある「日本の経済」関連のページを全て読み込んで理解する必要はありませんし、そもそも無理です。だから、検索ワードを工夫して、ヒットするページを絞り込みます。

パソコンの説明書やネットでの情報収集などからも明らかな通り、現代社会で求められるのは情報処理能力であり、従来の国語教育で重視されてきた読解力ではありません。こうした時代背景が入試の長文化に反映されていると考えられます。

不必要な情報を無視するスキル

情報処理能力は、必要な情報を見つけるスキルだけで構成されているわけではありません。ある意味、このスキル以上に大切なのは、不必要な情報を無視するスキルです。

勉強でつまずいている生徒は、多くの場合、不必要な情報に振り回されています。数学の図形問題で面積計算に必要のない辺に惑わされたり、英語の文法問題で文法事項とは無関係な単語の意味に拘ったり……。

不必要な情報を的確に無視できないために混乱するのは、学生だけでなく大人も同じです。このような「使えない」大人は、昨今の情報化社会で苦労することになります。そうであれば、入試の長文化の流れに反発するのではなく、そこで求められる情報処理能力を鍛えることが、これからの時代を生き抜く上で大切だといえそうです。

トップ画像=フリー写真素材ぱくたそ / モデル=河村友歌

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