理系的思考のできない自称「文系」人間が語る「本質」という名の泥沼

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 教育論

理系的思考における「本質」は、前ページまでで見てきた通り、次のようにまとめられます。

・数少ない重要公式から数多の公式を導出する。

・覚えることを少なくする。

・煩雑な諸条件を捨象してルールを考える。

こうした「本質」と、一部の国語指導者たちが語る「本質」は同義なのでしょうか?

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テクニック否定派の国語指導者が語る「本質」

「本質」を強調する国語指導者たちは、現代文のテクニックを目の敵にします。彼らは、「小手先のテクニック」と対比する形で「本質」というワードを使うんですね。

確かに、「全ての問題を二項対立で理解しよう」のような怪しげなテクニックは汎用性がありません。そうしたごまかしのテクニックを否定するならまだしも、接続語や指示語などの文法ルールに基づいたテクニックにまでケチをつける国語指導者がいます。

全ての問題に通用する解法は存在しない

「テクニック」という言葉を頭ごなしに否定する国語指導者は「本質」を語り始めます。その「本質」とは、「現代文の全ての問題に通用する解法は存在しない」という意味であるようです。

ところで、ほとんどの入試問題は、「解けるように」作られています。センター試験のように多くの受験生が受ける公的な試験ならなおさらです。解けない問題をセンター試験で出題しようものなら、あちこちから批判が噴出します。そうした事態を避けるべく、センター試験作成者は、「解けるように」を厳密に意識して作問するはずです。

この「解けるように」の部分に焦点を当てれば、多くの現代文の問題に通用する解法を導けるはずです。そして、導出された解法を「テクニック」と呼んでも差し支えないでしょう。

もっとも、こうしたテクニックが使えない問題も実際に存在します。しかし、そんな問題は私大文系の悪問ばかりです。例外中の例外と言っても過言ではないでしょう。それをいたずらに強調し、「ほら、テクニックじゃ解けない問題があるでしょ?」と悦に入っているのが、「本質」にこだわるテクニック否定派の国語指導者なのです。

入試問題以外も視野に入れる

「本質」を語るテクニック否定派の国語指導者は、文章読解の範囲を入試問題に限定しません。「大学で読む論文は……」などと入試現代文以外まで視野に入れたがります。

入試現代文の範囲を超えれば、テクニックを駆使しても歯が立たない文章はたくさんあります。「テクニックなんかに頼っていては、大学入学後に書籍や論文を読めなくなる」は当たり前です。

だからこそ、「入試問題」という限られたフィールドの中でテクニックを考えればいいのに、わざわざ入試問題以外に話を広げること自体がナンセンスです。

コメント

  1. 20台後半の現役小役人 より:

    「入試国語の指導」は、ね(笑)

    あなたのような狭量な発想の方は、「入試国語」には熟達できても、「文学」はできないと思う。
    たとえば、文学者や文学研究者になったり、文学的感性の豊かさを要求されるような、政治学、社会学、歴史学といった分野の専門家(研究者・実務家を問わず)には、なれないでしょう。

    私自身は、あなたの言われるような、テクニック的国語回答術は大嫌いで、大学に入学してからロシア文学の講義を受けて、本物の文学というものに触れ、激しい感動を覚えました。
    それがきっかけとなって国際政治学の専攻に進み、修士号取得後、国際業務を専門とする公務員に就職しましたので、あなたの言われてるテクニック的解法などに拘泥していては、今の生活はなかったことを思うと、この記事から慄然とするものを感じました。

    参考までに、英国の外交官の大半は、歴史学・文学などの専攻です。
    彼らが、あなたが言われるような、情報処理としての読解術とは正反対の思考様式を身につけて、世界一の外交実務に役立てている現場を、幾度となく目撃しました。

    国際情勢が激変し、官民問わず、産官学問わず、我が国の実務者に等しく、自律的情勢認識が求められる今日この頃。

    • みみずく より:

      サイト管理人のみみずくです。

      貴重なご意見をありがとうございます。
      簡単にではありますが、返信させていただきます。

      > あなたのような狭量な発想の方は、「入試国語」には熟達できても、「文学」はできないと思う。

      まず、「『文学』はできない」の意味がわかりません。
      「文学作品を読解できない」「文学作品を書けない」「文学作品を研究できない」のいずれかの意味でしょうか?それとも、「文学作品を読んで妄想しながらハアハアできない」という意味でしょうか?
      一行目から意味不明な文を書いて、支離滅裂な思考を晒してしまいましたね。もっとも、そんなことで揚げ足取りをしても仕方ないので、先に進みます。

      > 私自身は、あなたの言われるような、テクニック的国語回答術は大嫌いで、……今の生活はなかったことを思うと、この記事から慄然とするものを感じました。

      「だから何?」という感じです。
      あなたがたまたまそういう人生を歩んだというだけで、そのことが私の意見に対する反論にはなりません。
      そもそも、現在学校で行われている国語教育は文学者を育てるためのものではありませんし、入試の国語も文学者の卵を選別するためのシステムではありません。文学がどうこうということ自体、現行の制度を無視した暴論です。

      私は記事中で、「『入試問題』という限られたフィールドの中でテクニックを考えればいいのに、わざわざ入試問題以外に話を広げること自体がナンセンス」と書きました。それにもかかわらず、あなたはなぜ、「文学」という、記事中で一切触れられていない無関係な話題を持ち出して噛みついてくるのでしょうか?
      あなたのコメントは、牛丼屋を相手に「そばを出さない店は最悪だ」と言っているようなものです。こういうのを「いちゃもん」といいます。

      > 参考までに、英国の外交官の大半は、歴史学・文学などの専攻です。

      私は、「文学が不要だ」とは一言も言っていません。むしろ、文学は大事ですし、そうした教養を養うための教育が必要だとも思っています。特に、人々を導いていくリーダーであれば、文学や歴史などに通じていることは必須条件でしょう。

      一方で、「高校までの国語教育が文学鑑賞に偏っていてダメだ」というのが僕の考えです。学校教育は、さまざまな進路を目指す生徒たちに実用的な日本語スキルを習得させる場であるべきです。しかし、現行の日本の国語教育はそうなっておらず、日本語をまともに読めない・書けない大人が量産されています。このことに危機感を覚えるからこそ、今回の記事を書きました。

      あなたもまた、私が問題としている、日本語をまともに読めない・書けない大人のようですね。そして、そんな人でも公務員になれるという日本の官僚システムに慄然とするものを感じました。なるほど、日本が諸外国から舐められるわけです。

      あなたは、ロシア文学を勉強する前に、日本語の読み書き能力を鍛えるべきだったのではないでしょうか?

      以上です。
      長々と失礼いたしました。

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