小説問題で登場人物の心情をどう答える?客観的読解と深読みの境界

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 国語一般
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小中学校の国語教育の現状

「小説は苦手」と意識している生徒に限らず、多くの生徒たちは小説問題で深読みします(というか、僕でさえ、たまに深読みして撃沈します(笑))。そんな深読みの原因は、どこにあるのでしょうか?

鑑賞に偏った国語教育

僕は、小説問題で生徒たちが深読みしてしまう原因は学校の国語教育にある、と考えています。

しばしば指摘されますが、現行の小中学校の国語教育は文学鑑賞に偏っています。この小説を読んで主人公の気持ちを自由に考えましょう、この短歌の鑑賞文を自由に書きましょう、という授業ですね。

「自由に」というところがポイントです。本文中の語句や論理関係などに基づいて客観的に心情を読み解くのではなく、感覚や印象に任せた解釈を生徒たちに推奨しているのです。

「閑さや岩にしみいる蝉の声」の解釈

たとえば、小中学校の国語の授業で、「閑さや岩にしみいる蝉の声」という松尾芭蕉の俳句を扱うとします。先生は、前後の文章や学者の解説文などもなしにこの俳句を生徒たちに提示して、「このときの芭蕉はどんな気持ちだったでしょうか?」と発問します。

生徒たちはさまざまな意見を出します。「蝉の声だけが聞こえる静かな場所で孤独を感じています」「蝉の声がうるさくてうんざりしています」など。どれも正解・不正解とも評価しようがありません。先生は、「そういう考えもありますね」と言って、生徒たちの意見を次々と黒板に書いていきます。

意欲的な(?)生徒は、他の生徒と意見が被らないように、わざわざひねくれた解釈をします。「自分を蝉に重ね合わせて、蝉の一生が短いことをかわいそうだと思っています」。こんな訳の分からない意見に対しても、「面白いですね」と先生は評価して……というやりとりが延々と続きます。小中学校の国語教育は、「深読みしなさい」と教えているようなものです(高校はもう少しマシか?)。

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