読書感想文の書き方を宮沢賢治「土神と狐」でわかりやすく解説するよ

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 宿題対策

なぜ土神は泣いたのか

●●中学校3年3組 みみずく

土神が泣いた。

宮沢賢治の童話「土神ときつね」は、美しい樺の木をめぐって繰り広げられる悲劇。土神は、樺の木と楽しそうにする狐を見て苦悩し、ついに狐を殺してしまう。その後、狐の真の姿を知った土神が、「まるで途方もない声で泣き出し」たのだ。なぜ土神は泣いたのだろうか。

この疑問に答えるには、土神が狐を殺した経緯を理解する必要がある。土神は、その名の通り神である。周囲の者から崇められて当然、という自負もある。しかし、身なりがぼろぼろで乱暴なところがあり、供物を持って来ない人間に腹を立てるような偏狭な心の持ち主だ。一方、狐は、土神からすれば「畜生の分際」だ。それにも拘らず、上品で博識なため、樺の木からは好意的に見られている。土神はそのことが気に食わない。

ある日、土神は、狐と樺の木とが楽しそうに会話しているのを聞いた。狐は、美学や望遠鏡の話をしている。それを聞いた土神は、「全く狐の方が自分よりはえらい」と感じて落胆する。これまで自分は神であると言い聞かせてきたのに、「結局狐にも劣ったもんじゃないか」と劣等感にすら襲われる。土神は、樺の木に恋をし、狐に嫉妬していたのだ。

秋のある日、土神は樺の木と狐の関係に寛容になったように感じ、それを伝えるべく樺の木に話しかけた。そこへ狐が訪れた。狐は直ぐにその場を立ち去るが、その姿を見ていた土神は「むらむらっと怒」ってしまう。再燃した嫉妬心。土神は狐を追いかけ、捕まえ、殺してしまう。その後、土神は狐の穴の中に入るが、中はがらんどう。狐の持ち物は、二本のカモガヤの穂とハイネの詩集だけ。土神を嫉妬に駆り立てた美学の本も望遠鏡も、狐は持っていなかった。狐は樺の木を喜ばせるために嘘をつき続けていただけだった。ここに、土神が泣いた理由がある。

あれだけ輝いて見えた狐が、実は自分と同じ哀れな存在だった。そうと分かっていれば、狐とも仲良くなれたのではないか。その狐を殺してしまい、仲良くなれるチャンスを永遠に失ってしまった。そして、狐の真の姿は、自らのみじめさを土神に一層強く認識させたことだろう。更に、狐を殺した土神を樺の木はどう思うか。土神は樺の木を恋い慕うあまり、かえって樺の木を恐れさせる行動に走ってしまったのだ。土神は後悔の涙を流したに違いない。

私は、土神の気持ちがよく分かる。かつて私も、一人の親友を巡って、土神と同じ体験をしたからだ。

あれは、私が小学4年生のときの出来事。私には親友のA君がいた。私は友達作りが苦手だったこともあり、彼が心を許せる唯一の存在だった。彼とはいつも一緒に遊んだり、勉強したりしていた。

その年の3学期、私達のクラスにB君が転校してきた。彼はA君の隣の席に座った。優しい性格の A君は、転校生に気を遣い、積極的に仲良くなろうとした。そのかいあって、A君とB君とはどんどん仲良くなっていった。

B君は東京から来た転校生。私たちの知らないことを沢山知っていたし、東京には友達が沢山いる、と少し自慢げだった。B君と話しているときのA君は、私といるときよりも楽しそうだった。

私は、2人の関係に嫉妬した。A君の心が自分から離れていくようで辛い。だから、私は、「もうA君に近づかないで」とB君に言ったのだ。その後、B君は、私やA君を避けるようになった。A君は、B君の態度に戸惑った。しかし、直きに私とB君とのやり取りを知って、「どうしてそんなことを言ったんだ」と私に詰め寄った。私はA君に本心を話し謝ったが、逆効果だった。私とA君との関係もぎこちなくなった。

5年への進級でクラス替えがあり、私もA君もB君もばらばらになった。そのまま3人一緒に話したり遊んだりすることは無くなった。後に、B君はいじめが原因で引っ越してきた、という噂が私の耳に入った。B君は、実は友達がいなくてさみしい思いをしてきたのだろう。そう思った途端、私は後悔した。B君は私と同じような境遇だったに違いない。それなのに、私は彼に冷たくして絶交してしまった。本当はB君とも仲良くなれるはずだったのに。同時に、友達と健全な関係を築けない自分が、一層みじめに思えてきた。「A君の親友は自分だけ」という思い上がりが原因で、A君とも上手くいかなくなった。後悔の念が涙となって、私の頬を伝った。

当時の私は、土神と全く同じだった。しかし、土神と同じ経験をしたことがあるのは、私だけではないだろう。現代社会において、悩み相談の大部分は人間関係のトラブルだ。いじめやパワハラなど、深刻な社会問題の背景には、嫉妬や羨望が潜んでいるように思う。負の感情から他者を傷つけ、いつの間にかその他者との関係が修復不可能なまでに破綻してしまう。それが社会問題として表面化しているのではないか。

大切な人を失って後悔の涙を流さないように、私たちは土神になってはいけないのだ。

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