理系的思考のできない自称「文系」人間が語る「本質」という名の泥沼

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みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記

予備校講師が「現代文は論理で解ける」と言うと、必ず飛んでくる批判があります。

「論理」などという小手先のテクニックでは読めない文章がある。現代文の「本質」をちゃんと教えろ!

こうした批判で多用される「本質」とは、一体何を意味しているのでしょうか?

理系的思考における「本質」

「本質」をめぐる対立は、現代文以外の科目でもしばしば起こります。数学や理科などを例に考えてみましょう。

公式丸暗記を否定する「本質」

公式丸暗記に頼る生徒や数学指導者に対して、まともな数学指導者は「公式丸暗記ではなく、『本質』を理解しなさい」と言います。ここでいう「本質」とは、数多の公式に一貫して流れている思考体系を指します。

たとえば、三角関数の二倍角の公式や半角の公式。これらの公式は、加法定理さえ覚えていれば、わざわざ暗記しなくてもその場で導出できます。もっとも、導出の手間を考えれば「暗記した方が速い」というのも確か。しかし、公式の意味も分からず単に丸暗記するのはやはり危険です。問題をちょっとひねられると混乱するからです。

二倍角の公式や半角の公式に関して数学指導者の語る「本質」とは、加法定理からこれらの公式を導出することを意味します。数少ない重要公式だけ覚え、それを使って数多の公式を導出する、というのが理系的思考における「本質」です。

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