定期テストで学年1位なのに模試が解けない?高校入試での「成功」と独学の危険性

定期テストで学年1位なのに模試が解けない?高校入試での「成功」と独学の危険性 教育論

私は20年以上、家庭教師や塾講師など、教育に関わる中で、何度も悩み、指導方針を変更してきました。

どのような方針であっても、その根底には私自身の中高時代の失敗があります。

私の学歴は「成功」に見えることがあるようです。しかし、私自身は、学歴を手にするまでの過程を振り返りながら、「もっと●●すべきだった」としばしば後悔します。

私の学生時代の勉強法は根本から間違っていました。その間違いを読者の皆さんの参考にしてもらいたいと思います。

今回は中学時代から高校受験までのバカバカしいエピソードを書き残します。

定期テストで学年1位を実現した中学時代

私は中学進学直前に引っ越し、小学時代とは全く異なる地域の中学に通うようになりました。

その中学は、「●●一家」というヤンキー集団がいて、それほど荒れてはいませんでしたが、生徒が先生を殴るといったトラブルがたまに起きていました。学力レベルは低く、私は同級生たちを内心(態度に出ていたかも?)バカにしていました。

しかし、このような環境だったからこそ、私は勉強面で活躍できました。

最初の定期テストは1学期末テストでした。

私はほとんど何もしないでテストに臨み、結果は10位でした。この結果を見て、「ちょっと頑張れば、順位を上げられるのでは?」と思い、次から2週間前にはテスト勉強を行うようになりました。

そして、順位は3位になって、いつだったか忘れましたが1位になり、そのまま1位をキープし続けました。

学年トップになったことで、周囲の私に対する評価が変わりました。

多くの先生たちから可愛がられました。2年と3年で英作文コンクール(だったと思います)に出させてもったり、生徒会役員を務めさせてもらったりするなど、実力以上の評価をしてもらったと思います。

ヤンキーのいる中学でしたが、牧歌的で、学年トップの私は危害を加えられませんでした。ヤンキーからも一目置かれていたようです。

印象的だったのは、中学1年のとき、私に面と向かって「クラスの嫌われ者!」と吐き捨てた女子が、中学3年のとき、「みみずくくん、かっこいい~!」と称賛したことです。ブ●は心も醜いのを実感しました(笑)

宮城県公立高校入試の過去問で400点を下回る

学年1位だった私が本当に優秀だったのかといえば、全く違いました。

中学の定期テストは、ほとんどがワークからそのまま出題され、ワークの解答を丸暗記しさえすれば80~90点を取れました。数学に至っては、ほぼ計算問題オンリーでした。

そのため、私は理解するのではなく、ひたすら暗記で定期テストを乗り切りました。

結果として、定期テストで5教科500点満点で400点以上を取っていたのに、模試では400点を下回ることが多々ありました。

たとえば、中学時代に一番好きで「得意」だった英語では、文法や語法の問題は丸暗記で何とかなりましたが、長文が全く読めませんでした。適当に選んだ記号が正解するかどうかで、模試の点数が大きく変わりました。

数学は、当時の宮城県の公立高校入試でよく出ていた規則性と一次関数が壊滅していました。

規則性は等差数列ですが、その仕組みを全く理解していなかっただけでなく、最初の数えるだけの問題ですら間違うレベルです。

一次関数の文章題はそもそも難しいにしても、私は「傾き」や「変化の割合」などの意味を全く理解していなかったため、右上がりのグラフを右下がりに書くほどでした。

理科は計算問題が全くできません。

社会は地理や歴史で全範囲が混ざって出てくるとお手上げです。

国語は読解問題を全て感覚で解いていました。

こういうレベルの私ですから、宮城県公立高校入試の過去問を解いても、500点満点で400点を超えることはありませんでした。

しかし、当時は塾に通っていませんでしたし、家庭教師に教えてもらうわけでもなく、どうしてもわからない問題は学校の先生に質問していました。両親は勉強に口出ししなかったので、ほぼ独学でした。

私は何をすればよいのかが全く分からず、分野別問題集などを買ってもらって、ひたすら解いていました。それでも、理解しようとすらせず、単に暗記するだけで、劇的に何かが変わるはずもありません。

幸いなことに、私は入試制度について全く知らなかったので、模試の結果がどうとか、偏差値がどうとか、過去問の出来がどうとか、特に気にもせず、何となく県内トップの宮城県仙台第二高等学校(仙台二高)を受験することにしました。

仙台二高がどのような学校なのかを調べず、学校説明会や文化祭などにも行きませんでした。第二志望は近所の公立高校で、そこは偏差値50前後でした。三者面談で担任から偏差値の差を聞かれたとき、私は「近いから」と答えて、担任を唖然とさせました。

滑り止めの私立高校は仙台育英学園高等学校の特別進学コースでしたが、これも母が「宗教系の学校は嫌」と言ったのが志望動機です。

さらに、仙台二高の推薦入試を担任から勧められましたが、母から「推薦で合格するのはよくない」みたいなことを言われ、私は「そうなのかな……」と思って推薦入試を受験しませんでした。

高校受験を舐めていたというより、無知だからこそ愚かなことをしていました。それを「おかしい」と言ってくれる人は誰もいませんでした。

高校入試で奇跡が起こって仙台二高へ進学

滑り止めの仙台育英の入試は国数英の3科目でした。

過去問を解くと、数学では二次方程式の解の公式の証明があり、「公式=暗記」で済ませていた私には全くわかりません。

職員室で数学のM先生に、二次方程式の解の公式の証明について教えてもらおうとしたら、「この学校は見栄でこういう問題を出しているだけだから気にしなくていいよ」と言われて終わりました。M先生はマトモだったのか?(笑)

こういう状況で過去問の出来も微妙でしたが、入試当日はそれなりに解けたのか何なのか、仙台育英から特待生の案内が来ました。もちろん、仙台二高に進学するつもりだったので蹴りました。

仙台二高の受験当日、私は電車の仕組みがよくわからず、降りなくてよい駅で降りてしまいました。結局、後から来た電車に乗って、バスに乗って、試験会場に着いたのはギリギリでした。

入試会場への行き方すら事前に調べていませんでしたが、このことを「おかしい」と言ってくれる人は誰もいなかったのです。

それはさておき、公立高校入試の本番で、数学の問題を解いた私はびっくりしました。私が全然できなかった規則性や一次関数の問題がなかったからです。

大問の1つはいわゆる「新傾向問題」で、連立方程式を使えば簡単に解けてしまいました。しかも、図形問題も完答できて、時間が余ったほどです。

「これはもしかしたら100点かも?」と思って、良い意味で手が震えました(笑)

英語も、普段は読めない長文問題がなぜかスラスラ読めました。

他の科目については記憶がありません。

翌日の新聞で答え合わせをしてみたら、本当に数学が100点でした。このことを母親に言ったら、「そんなわけないだろう?」と笑われました。

後日の成績開示で、数学は100点でした。英語は98点でした。English と書くべきところを Japanese と書いた記憶があり、それが減点されたようです。

合計点は500点満点で450点で、定期テストよりも点数がよかったくらいです。当然、仙台二高に合格しました。

ちなみに、仙台二高の受験当日、シャープペンがぶっ壊れて使えなくなりました。しかし、学校で「シャープペンは壊れることがあるから、必ず鉛筆を持って行きなさい」と言われていて、それを忠実に守っていた私は難を逃れました(笑)

中学時代に、信頼できる指導者が身近にいてくれたら

仙台二高に進学することになった私は、「自分は勉強ができる」と思い込んでいました。さらに、「自分は優秀だから、きっと東大に行けるに違いない」という自信すらありました。

これらの自惚れが仙台二高で見事に打ち砕かれたことに関しては、また別の機会に記事にします。

いずれにしても、中学時代の勉強法は根本から間違っていました。高校受験について何も知りませんでした。

塾にも家庭教師にも親にも頼らなかった私には、自分のやっていることを「おかしい」と言ってくれる人は誰もいませんでした。すべて「自分でやってみて、自分で決めて、運が味方してくれて成功した」です。

だからこそ、私は「中学時代に、信頼できる指導者が身近にいてくれたら……」と思いますし、この思いが小中学生を指導するときの方針になっています。

中学の定期テストで満足するのではなく、その先にある高校、大学、そして、社会人としての進路まで見据えた指導を意識してきました。

もちろん、私の方針が生徒や保護者に全然伝わらなかったこともあります。そもそも、私の方針がただのエゴだったのかもしれません。

しかし、せっかく私が関わる以上、自分の生徒たちには、中学での「成功」で終わらない人生を歩んでほしいと考えています。

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