人間関係に悩む子供たち!自己中心的な人が嫌だから引きこもりたい?

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人間関係に悩む子供たち!自己中心的な人が嫌だから引きこもりたい?

妙なことを言う生徒がいます。たとえば、ある生徒は次のように言いました。

世の中は自己中心的な人ばかりだから、誰とも関わらずに自分一人で引きこもっていたい。

こんなことを言う生徒自身がとても自己中心的でしたが、それはさておき、人間関係に悲観する生徒の言葉にどう答えるべきかは、教育の仕事をしている僕にとって、考えるべき課題です。

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「世の中は自己中心的な人ばかり」という真実

生徒の言いたいことも分からないでもありません。

用があるときだけ愛想が良くて、それ以外のときはそっけないクラスメイト、クラスの秩序維持ばかりを気にする先生、機嫌がいいときは優しいのに機嫌が悪いときはやたらと厳しいお母さん……。

周囲をよく観察している生徒は、こういう大人たちの言動に悲しみや怒りを覚え、彼らの言動を悪い方向に解釈します。「誰々が『●●』と言ったのは、俺(私)のためなんかじゃなくて、自分のことしか考えていないからだ!」と鋭いことを言う生徒もいます。

「世の中は自己中心的な人ばかり」という生徒の解釈も間違いではありません。多くの人々が、他の動物と同様に自己保存の欲求を基準に行動するので、どうしても自己中心的になってしまいます。

国内外を見渡しても、自己中心的な人々ばかりが目立ちます。嘘をつくことが当たり前の政治家、資本主義経済に心を囚われた金の亡者、他人をだまして自分の利益ばかり追求する詐欺師、戦争・紛争の火種をまき散らす権力者……。

ネットが発達して大人たちの醜態があっという間に拡散される時代なので、純粋な子どもでなくても悲観したくなる事件が視界に入ってきます。

だから、僕は、「世の中は自己中心的な人ばかり」というネガティブな言葉を否定しません。しかし、「誰とも関わらずに自分一人で引きこもっていたい」という言葉については、「それは違う」と反論しています。

他人と関わらない人生は本当に楽しいのか?

自己中心的な人に囲まれているからといって、誰とも関わらずに自分一人で引きこもることだけが自己防衛の手段ではありません。

確かに、誰とも関わらなければ、他人に傷つけられることはなくなるでしょう。しかし、他人と関わらない人生は本当に楽しいのでしょうか?

引きこもることで幸せを感じる人もいるでしょう。僕自身も、5年以上前に上京するまでは、他人との関わりを最小限に抑えていました。他人は信用できないし、そんな人たちに煩わされるのが嫌だったからです。

しかし、他人と関わらない生活を続けていたら、心のどこかがおかしくなってきて、鬱っぽい感情が頭の中に渦巻く状態になってしまいました。もともと引きこもり傾向のある僕ですが、他人との関わりを徹底的にシャットアウトするのは精神衛生上よろしくなかったわけです。

その後、就職を機に否応なく他人と関わるようになりました。独立後は、さまざまな人たちと接する機会が増えました。とんでもない人との出会いもありました。しかし、そうした出会いも含めて、最近は「他人と関わることが楽しい」と思えるようになりました。

引きこもっていては経験できない楽しさ

僕は、家庭教師やイベントなどで、自己中心的ではない人たちとたくさん出会いました。そんな人たちのおかげで今の僕があるといっても過言ではありません。

一方で、自己中心的というか、訳の分からない人たちから迷惑を被ることも少なくありません。個人事業主だとそういう人たちが引き起こすトラブルも自分で解決しなければならないため、時としてうんざりします。

しかし、最近は、トラブルに見舞われても、「そういうこともあるよね」と考えて適当に流しています。人間関係において、「合う・合わない」はどうしても発生するものです。そのことにいちいち腹を立ててもしかたありません。イライラする時間とエネルギーを別のことに費やしたいので、「去る者追わず」を徹底するようにしています。

人間誰しもが持っている自己保存の欲求。他人のそうした欲求を脅かすことなく、かつ自分も不快な思いをしないで済ますには、自分と他人との間に「適切な」関係を築く必要があります。その「適切さ」は、人によって違いますし、さらには時代や国によっても変わってきます。

イベントに参加すれば、自分とは全く異なる世界に生きている人々と交流します。海外から日本に移住してきた生徒も指導しているので、日本の常識が通用しないことに戸惑うこともあります。

こうした経験の中で、僕は、自分の考える「常識」が絶対ではないということを学びました。自分とは異なる「常識」に自分を合わせられるかどうかが、その相手と人間関係を維持できるかどうかの分かれ目です。

個人事業主として独立してからは、たくさんの人々と出会ったり別れたりをくり返し、その全てが僕にとっては糧になりました。つらいこともありましたが、全体として見れば、やはり「楽しい」と思えることの方が多かったと思っています。その楽しさは、自分がしがみついてきた「常識」から脱却することで世界が広がっていく喜びです。

誰とも関わらずに自分一人で引きこもっている限り、このような楽しさを決して経験できなかったはずです。

人間不信を払拭するのは信頼関係だけ

人間は、何だかんだいって、孤独には耐えられない生き物です。そうであれば、面倒だろうが何だろうが、さまざまな人間関係の中に身を投じた方が賢明でしょう。

利害関係で結ばれた関係からスタートするかもしれません。しかし、そうした関係の中で相手を尊重しながら、自分自身も楽しく振る舞っていれば、利害関係はいつしか信頼関係に発展するかもしれません。

僕自身の家庭教師の仕事は、単に「勉強を教える・教わる」以上の関係になっているケースがほとんどです。一時的な成績の上がり下がりではなく、長期的な視点から指導を継続してくださるご家庭が多いのはその証拠です。

あるお店に足繁く通っているうちに店員さんと仲良くなったという例もあります。最初は単なる利害関係だったとしても、お店のファンになることで、お店も僕のことを大切にしてくれるようになったのです。

こうした嬉しい人間関係の一方で、意味の分からない理由で離れていく人たちや中傷してくる人たちもいます。ただ、良いこともあれば悪いこともあるのは人間関係に限った話ではありません。いちいち気にする必要はないでしょう。

下らない人たちのせいで引きこもって、素敵な人たちと出会える機会を自ら放棄していくのはとてももったいないことです。

「世の中は自己中心的な人ばかり」と思うならば、なおさら他人と積極的に関わって、自己中心的ではない人たちとの出会いを求めていくべきではないでしょうか?

人間不信を払拭するのは信頼関係です。誰とも関わらずに自分一人で引きこもっていたら、不信感がどんどん大きくなっていつか心を食い潰します。ゲームやネットの世界に桃源郷を求めても、そこにあるのは偽りの「楽しさ」だけです。

もっとも、考え方は人それぞれなので、僕の思想や人生観を生徒たちに押し付けるつもりはありません。しかし、自分の殻に閉じこもって人間関係をどんどん狭めていく生徒には、「それはもったいないよ」と話しています。未来を担う子どもたちには、決して清らかでない現実を見すえつつも、他人と一緒に自分なりの楽しみを見つけられる、心豊かな大人になってほしいと思っています。

トップ画像=写真AC

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