【崇徳院】保元の乱で敗れた上皇が讃岐国で怨霊になったって本当?

【崇徳院】保元の乱で敗れた上皇が讃岐国で怨霊になったって本当? 小学・中学社会
スポンサーリンク

『保元物語』と『今鏡』に描かれた崇徳院

崇徳院が怨霊となるまでの出来事については、軍記物語『保元物語』に書かれています。讃岐国に流された崇徳院は、自分のために命を落とした仲間のために写経を行い、納経(のうきょう、写経を寺に納めること)を朝廷に求めました。しかし、後白河法皇は「経に呪いがかけられているのではないか?」と疑って、これを送り返しました。怒った崇徳院は「日本国の大魔縁(だいまえん)になる」と言って、天狗(てんぐ)になってしまいました。死後も怨霊となって人々に恐れられたといいます。

天狗というと、赤い顔で鼻が高く、背中に生えた羽で飛び回る、山伏(やまぶし)姿の妖怪がイメージされがちです。しかし、天狗にはさまざまな種類があります。仏教の修行をしている人が悪い心にとらわれると天狗になるともいわれます。後白河法皇への恨みから崇徳院が天狗になったことにも納得できます。

崇徳院に冷たくした後白河院の身の回りでは、実際に悪いことが起こり続けます。身内が次々と死に、大火災が起こり、政治的な対立も深まりました。社会が不安定になると、人々は「崇徳院の怨霊のせいだ」と考えるようになります。不幸が続いて精神的に参っていた後白河法皇は、怨霊をなだめるためにさまざまなことを行いました。

一方、歴史物語『今鏡』(いまかがみ)には、崇徳院は自らの不幸を悲しみながらも、保元の乱で対立した者たちを恨むことなく、ひっそりと亡くなったと書かれています。『今鏡』は『保元物語』よりも成立が早く、記録としても信用できるとされています。そのため、『保元物語』に描かれる崇徳院の姿は、後の時代に作られたフィクションのようです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました