僕は小学4年まで、鉄棒で逆上がりができませんでした。
しかし、ある日を境にして逆上がりができるようになって、それ以来「鉄棒が得意」と思うようになりました。
逆上がりができるようになったのは母のおかげです。そんな母から学び、今の僕の指導方針になっていることを紹介します。
逆上がりができずに家を追い出された
小学4年の当時、学校の体育の授業は鉄棒でした。しかし、僕は逆上がりができず、「鉄棒が嫌だな」と思っていました。
ある日、僕は「逆上がりができないんだ」と母に言いました。すると、母の顔色が急に変わりました。
「逆上がりができるまで家に入れない!」
母はそう言って、僕を家から追い出してしまいました。
しかたないので、僕は、アパートの前にある公園へ向かいました。そこの鉄棒で逆上がりを練習するためです。
僕は何度も練習しますが、逆上がりができるようにはなりません。時間だけは過ぎていきます。日が暮れて、辺りが薄暗くなっていきました。
不安と焦りから僕は泣き出しました。
同じアパートの子どもたちが僕のところに寄って来ました。僕の話を聞いた彼らは、僕の部屋に向かって大きな声で言います。
「逆上がりができるまで家に入れないなんてかわいそう!」
子どもたちの大合唱でしたが、母は窓を閉め切ったまま無反応でした。僕を家に入れてくれる気配は全くありません。
状況が何も変わらないとわかると、子どもたちは去っていきました。
僕は半べそをかきながら、練習を続けました。そして、周囲がだいぶ暗くなったとき――。
僕の体がフワッと持ち上がった後、鉄棒の周りをクルリと回転しました。
逆上がりが初めて成功しました!
しかも、1回できるようになると、その後は何度でも逆上がりができます!
僕は嬉しくなって母を呼び、母の目の前で逆上がりを見せました。こうして、家に入ることが許されました。
母の厳しさが「できる」を増やしていった
この日以来、僕は「鉄棒は得意」に大変身しました。放課後学校の校庭に残って、他の技を自発的に練習するようにもなりました。足かけ回りの練習を一人でしたり……。その結果、鉄棒がとても上手くなりました!
……というのは大嘘です。それほど上手くなりませんでしたが、体育が苦手だった僕にとっては、比較的まともになったとは思います。かなり高い高さの鉄棒でも逆上がりができて嬉しかったのを覚えています。
正直なところ、逆上がりができたところで、子どものその後の人生において何の役にも立ちません。中高になると、体育の授業ですら鉄棒がありません。だから、「子どもが嫌がるなら、逆上がりを練習させる必要はない」と考える親も多いでしょう。
しかし、僕の母はそう考えませんでした。逆上がりができることにどんな意味があるかの説明を一切せず、僕を家から追い出しました。そして、逆上がりができない限り、本当に僕を家に入れませんでした。
逆上がりに限らず、母は厳しい人でした。しかも、その厳しさは読めないところがあり、僕はビクビクすることもありました。母の厳しさが教育的配慮に基づいていたかどうかは不明ですし、他人の目には「虐待」に映ったかもしれません。
しかし、確実に言えるのは、僕が「できる」を増やしていけたのは、母の厳しさのおかげだったということです。
幼い頃の僕は衝動性が強く、落ち着きのない子どもでした。学校の椅子の上で逆立ちみたいなことをしていたり、体に鉛筆をぶっ刺したり……。今思えば、かなり危険なことをしていました。
しかし、「できる」が増えることによって勉強などに集中する時間が増え、おかしな行動は徐々に減っていきました。それでも抑えられない衝動性は残りましたが、中学以降はとりあえず「優等生」と評価されるくらいにはなりました。
もし、母が僕を甘やかす人だったら……。考えただけでもゾッとします。
保護者が毅然とした態度を取る際の5か条
僕の母の厳しさを「教育」と捉えるか「虐待」と捉えるかは人それぞれです(ちなみに、僕が中学生になってから、母は「勉強しなさい」と一言も言わない穏やかな性格になりました)。
しかし、僕は、僕自身の成長にとって母の厳しさは必要だったと思っています。自分のつらい過去を美化しているわけではありません。勉強や仕事で必要なスキル、特に個人事業主としてやっていくためのスキルのほとんどが、幼少期に母から刷り込まれました。このことをもって、僕は母の厳しさを「正しかった」と評価しています。
「雑にやらない」「途中で投げ出さない」「やるべきことはやる」「自分中心に考えない」「他人への感謝を忘れない」などを僕がいいかげんにした場合、母はとにかく厳しく僕を叱責しました。優しく、分かりやすく、論理的に諭すということは一切ありませんでした。「褒めて伸ばす」とは程遠い育児方針でした。
そもそも、幼少期の僕のように、衝動性が強くて頑固な子どもには話が通じません。そんな子どもに対して、保護者は厳しく叱責したりしないにしても、毅然とした態度は取るべきでしょう。
その際、保護者が次の5か条を意識すると、子どもの「できる」が増えていくようです。この5か条は、僕の母の厳しさから抽出したもので、僕の指導方針でもあります。
- 子どもが学ぶ内容にいちいち理屈をつけない。
- 子どもが宿題などを適当に片付けるのを許さない。
- 子どもができないことは、できるまで練習させる。
- 子どもが嫌がっても、やるべきことを最後までやらせる。
- 子どもの都合に合わせず、優先順位をはっきりさせる。
この5か条に対して批判もあるでしょう。そして、何でもかんでもこの5か条を徹底すれば虐待になってしまうので、さじ加減がとても難しいのは確かです。
もっと言うと、この5か条が有効なのは小学生までです。子どもが中学生になると、彼らの中には自我が芽生えます。そんな子どもに力ずくで何かを強制しようとすれば、子どもの反発を招いて親子間に対立が生じます。
子どもを小学生のうちに散々甘やかして中学生になってから厳しくするのは、最低の育児方法です。母親がこのようなことをしたために親子関係が崩壊してしまった現場も見たことがあります。
「褒めて伸ばす」土台を築くために叱る
昔、小学4、5年の頃に僕に叱られまくっていた生徒が「あのとき家庭教師を続けていてよかった」と言っていました。小学生だった彼は「家庭教師をやめたい」と何度も訴えましたが、保護者に却下されていました。
それでずっと僕の指導を受けていたのですが、あるときふと「やる」と言って勉強姿勢が変わりました。そこからの伸びは順調でした。中学生になった彼は「『できない』というのは思い込みです。やればできるんですよ!」と言っていました。中学校では先生から褒められることが多く、部活でも大会に出て好成績をおさめ、高校も推薦入試で合格しました。
彼に限らず、どんな生徒でも、事あるごとに僕から先述の5か条のようなことを言われるので、注意されたことが次第に内面化し、彼らの行動規範になっていきます。僕の指導を小学時代から受け続けてきた生徒と、中学生になってから指導を受け始めた生徒とでは、成績の伸びなどに大きな差が出てきます。そして、その差はそう簡単には埋められません。
「褒めて伸ばす」を支持する人たちは「叱っても伸びない」と言います。確かに、ほとんどの人は叱られても伸びないでしょう。しかし、叱るのは、伸ばすためではなく、「褒めて伸ばす」土台を築くための行為です。
僕も、僕に教わっていた生徒もそうでしたが、誰からも叱られなくなれば褒められることも増え、その結果として自然と伸びていきます。叱られているうちは、褒められようと何をされようと伸びません。叱られなくなってからがスタートです。
「褒めて伸ばす」で本当に伸びる子に育てたければ、叱らないにしても、大人が子供に毅然とした態度を示すことが大切です。
トップ画像=写真AC
コメント
大変興味深い内容でした。褒めればいいと言うものでも無いと、個人的に、自身の過去を振り返ると感じます。厳しくして貰ったことは、有り難かったですね。努力は、最低限だと考え、現在まで来ました。ただ、親が、マンガ、ゲーム三昧で、子供だけに、勉強しなさい、は通用しませんよね、恐らく…。読書なども、同じではないでしょうか。本を全く読まずに、子供だけ読書好きにするのは、無理がありますよね。お陰様で、勉強のみに限らず、努力、余り、使いたくない陳腐な言葉ですが、一生懸命やることの楽しさは、今も変わりません☺️鉄棒のエピソード、とてもこちらも嬉しくなりました。理屈は説明せずとも、後になり、しみじみと味わう有り難さ。バランスが大切だとは思いますが、出来た際の喜びはなにものにも代えがたいです。
コメントありがとうございます。
記事内容は僕の個人的な経験に基づいているので、一般化は難しいとは思います。
ただ、最近は「発達障害」「学習障害」などの言葉が独り歩きしている感があって、大人たちは腫物を触るように子供に接しています。
こらえ性がない親も多く、「自分が嫌だから子供にやらせない」みたい状況も散見されます。
そういう大人の姿を見て子供は育つので、確かに「勉強しなさい」が通用しにくい時代ではあります。
> 出来た際の喜びはなにものにも代えがたいです。
まさにおっしゃる通りです。
自分もそうでしたが、衝動性の強い子供こそ、1つ1つ丁寧に「できた」を積み重ねることが大事だと思います。
できた際の喜びは人間を大きく成長させる糧になります。