僕は、生徒の指導や自分の行動に対して、「努力」という言葉をほとんど使いません。もちろん、生徒の言う「努力します!」や、先生や保護者の言う「努力しなさい!」も信用しません。「努力」という言葉にはごまかしが多いからです。
生徒たちの言う「努力」の実態
生徒たちは「努力します!」と元気に言います。そんな生徒たちに僕は聞いてみます。「具体的に何をどうするつもり?」生徒は少し考えた後、「えっ、だから、努力するんです!」と同じ言葉を繰り返します。
この会話のどこに問題があるのでしょうか?
具体的なイメージを伴わない「努力」
生徒たちの言う「努力する」「頑張る」などは、ほとんどが具体的なイメージを伴っていません。生徒たちは、「何をどうするべきか?」をろくに考えもせず、とりあえず「努力します!」と言います。そう言えば大人が納得してくれる、と思っているのでしょう。
しかし、僕は、このような「努力」を認めません。「『努力』なんてどうでもいいから、具体的な勉強方法を今ここで考えて」と生徒に具体的な予定を立てさせます。それができない生徒には課題を出して、「『努力』なんてしなくていいから、僕が指示したことを期限までに淡々とこなして」と言います。
イメージを伴わない「努力」を連発する生徒たちの行動は、多くの場合暴走し、最悪の結果をもたらします。
鼻くそほじりと同レベルの「努力」
ある生徒が、「俺は勉強してるんだ!」と言いながら一生懸命鼻くそをほじっているとしましょう。彼は、決してふざけているわけではありません。鼻くそをほじると学力が上がる、と本気で信じています。だから、必死で鼻をほじります。それこそ、鼻血が出るくらい一生懸命に……。
こういう生徒をどう思いますか?彼の行動を「努力しているから素晴らしい」と評価しますか?普通の人なら、「馬鹿なことをやめろ」と彼に忠告しますよね?
しかし、当の本人からすれば、「鼻くそを一生懸命ほじる=努力している」です。残念なことに、その「努力」はひどく見当違いで、勉強で結果を出すためには有害無益なのです。
鼻くそほじりの話をすると、生徒たちは笑います。しかし、そんな生徒たちの言う「努力」も、冷静に考えれば鼻くそほじりと同レベル。
たとえば、次のような「勉強っぽい」ことに一生懸命取り組んでも、よほど優秀な生徒でない限り無意味ですよ。
- 教科書を一回読むだけ。
- できる問題だけを繰り返す。
- 色ペンを沢山使ったノートまとめ。
- 答合わせをせずに問題を解きまくる。
- 答が合っていれば解説を読まない。
多くの生徒たちは、「勉強っぽい」ことを繰り返した挙句に「努力した」と自己満足に浸ります。彼らはたしかに「努力」したのでしょうが、いつまで経っても結果が出ません。
「努力する」は「何もしない」の言い換え
もっとも、やっていることが鼻くそほじりレベルでも、何かやっているだけマシなのかもしれません。「努力する」と言いながら何もしない生徒たちもいるからです。
一週間前には「努力します!」と宣言した生徒。一週間後、彼に何をしたのかを聞くと、「何もしていません」。彼にとっては、「努力する=何もしない」なのです。それでも一応、何もしなかった理由を彼に聞いてみます。彼は答えます。
「何をすればいいのか分からなかったんです」
何を今さら……という感じです。「努力する」と抽象的なことを言っている時点で、こうなることは分かっていたはず。いや、彼は分からなかったのでしょうね。
生徒たちの言う「努力する」「頑張る」などは当てにならないのです。
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