【「差別」と「区別」】他の人は怒られなかったのに自分だけ怒られた

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みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記

子どもは大人の態度に敏感です。大人が理不尽なことをすると、子どもはそれをしっかり見ています。

そんな子どもたちの悩みで多いのが、「他の人は怒られなかったのに自分だけ怒られた」という事例です。

何人かで同じことをしていたら、他の人は軽く注意されただけなのに、自分だけ厳しく怒られた。あの先生は差別してるんだ!!

こういう話を僕も生徒からよく聞きます。

「差別」という言葉で先生を非難する子どもにどう対応すればいいのでしょうか?

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普段の生活態度の違い

「他の人は怒られなかったのに自分だけ怒られた」と憤る生徒を、「そうだね。差別する先生が悪いね」と慰める指導者も多いでしょう。しかし、僕は、生徒の味方をするとは限りません。むしろ、ブツブツ不平をこぼす生徒に対して次のように言います。

君だけ怒られたのは「差別」ではなく「区別」だ!

「差別」されたと言い張る生徒たちの多くは、普段から生活態度に問題があります。彼らは、先生に目をつけられていて、何かあるたびに厳しく怒(叱)られます。先生は「またお前か!」という態度で彼らに接するんですね。

一方、普段の生活態度が良く、大人に対して礼儀を尽くせる生徒は、1回くらい問題を起こしても、軽く注意をされる程度です。「今回は見逃すから、次から気を付けなさい」と先生も厳しくは叱りません。

「差別」と「区別」の違い

生徒に対する先生の態度に差異があること自体、「差別」といえるかもしれません。しかし、世の中の仕組みを考えれば、これは「差別」ではありません。合理的な「区別」です。

たとえば、刑法典では、「再犯加重」という制度が定められています。前科のある者が再び犯罪を行なうと刑が重くなるという制度です。悪いことを何度も繰り返せば、社会の制裁は厳しさを増すんですね。

これを「差別」といいますか?「差別」ではなく「区別」ですよね?

世の中は、このような仕組みで動いているんですよ。

社会生活の予行演習としての学校

社会生活の予行演習として学校生活を捉えるならば、普段から素行の悪い生徒が他の生徒と「区別」されて厳しく叱責されるのは当然です。

それにもかかわらず、子どもの愚痴を真に受けて「先生が悪い」と非難する指導者や保護者は、本当に子どものことを考えているのでしょうか?(もちろん、本当に先生が悪い場合もあるので、そのときは保護者などが子どもを守る必要があります)

一見理不尽な先生の行動にも意味付けを行い、それを子どもに伝えるのが大人の役割だ、と僕は思っています。

トップ画像=フリー写真素材ぱくたそ / モデル=大川竜弥

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