【背景知識と現代文読解】国語の勉強で芸術論や文化論を重視すべき?

みみずく先生のプロ家庭教師&ライター奮闘記 国語

現代文の読解に関して、多くの現代文指導者が「背景知識が必要」と言います。

背景知識とは、芸術論や文化論、科学論、自然論、哲学論、環境論など、現代文に頻出のテーマに関する一般的な知識のことです。環境論ならば、二酸化炭素排出に伴う地球温暖化の仕組み、二酸化炭素排出規制をめぐる先進国と発展途上国の対立、環境哲学の論点など、一般常識からややツッコんだ知識までを指しているようです。

しかし、現代文の読解問題を解く上で、たくさんの背景知識がそもそも必要なのでしょうか?

この疑問について、長年国語を指導してきた僕の見解を述べたいと思います。

背景知識が無いと現代文の問題を解けない?

多くの参考書類(指導者)では、現代文読解における背景知識の重要性を説きます。そして、それらの参考書に呼応する形で、現代文キーワード集の類もたくさん出版されています。現代文キーワード集は、英語や古典の単語帳とは異なり、背景知識の解説にも力を入れています。

こうした現状から、「背景知識が無いと現代文の問題は解けないんだろうな」と思ってしまう生徒も多いようですね。

背景知識が無くとも解けるようにできている

確かに、芸術論や文化論、科学論、自然論、哲学論、環境論など、背景知識を備えていた方が本文をスムーズに読解できるのは間違いありません。しかし、背景知識が無ければ問題を解けないわけではありません。

現代文の問題は、背景知識が無くとも解けるようにできています。本文が哲学の話題であっても、「哲学?何それ?」という人が読んで分かるレベルの文章が選ばれます。本文をきちんと読みさえすれば、一般的な哲学については理解できなくとも、筆者の考える「哲学」についてはある程度理解できるはずです。そうでなければ、「現代文」という試験科目なのに他分野の知識で差がつく悪問になります。

センター試験国語に出題された小林秀雄「鍔」

最近のセンター試験国語では、背景知識を活かせない文章をあえて採用しているようにすら感じられます。

2013年のセンター試験国語では、小林秀雄「鍔」が出題されて大ブーイングでした。「刀の鍔って美しいよね」という小林秀雄の主観丸出しの随筆で、文化論や芸術論の一般的な知識は一切通用しません。読みやすい文章でないのも確かです。

だからといって、「悪文(悪問)だった」という批判は的外れだと僕は思います。本文をきちんと読んで素直に考えれば普通に解ける問題でした。実際、僕の教えたことを忠実に守っていた生徒たちは、満点か一問ミスの得点でしたよ。

一方で、「背景知識が云々」と言っている受験生たちが、「鍔って何?知らないんだけど!!」とパニックに陥ったのではないでしょうか?

小林秀雄「鍔」の出題は、背景知識とそれに基づく内容理解に偏った従来の国語指導に対して、大学教授たちが突き付けた「NO!」の意思表示だった、と僕は解釈しています。

そもそも「背景知識」とは何なのか?

「現代文の読解に背景知識は不要」というのが僕の立場です。一方、僕の意見に納得できない生徒や現代文指導者は、「背景知識が無いとやっぱり本文を理解できない」と言います。僕は、そういう人たちに問いたいのです。

そもそも、あなたの考える「背景知識」っていったい何ですか?

背景知識≠語彙力

「背景知識」と「語彙力」がしばしば混同されます。

「帰納」「演繹」「メタファー」「アイデンティティ」などの言葉の意味を知らない生徒たちが、「自分には背景知識の欠如している」と思い込みます。しかし、語彙力と背景知識は別物です。

たとえば「帰納法」。現代文の読解で必要なのは、帰納法が誕生した哲学的・歴史的背景(いわゆる背景知識)ではありません。「帰納法」の辞書的意味を知っていて、そこから具体的な用法を想起できれば十分なんですね。

本文を全く読めない生徒たちは、背景知識を詰め込む前に、漢字検定などを通して語彙を増やしましょう。

背景知識≠日本語読解能力

語彙力が十分な生徒たちの中には、文章を正確に読めない生徒がいます。彼らは、途中で文章の主語を見落としたり、指示内容を理解できなくなったり、具体例の抽象表現がどこか分からなくなったり……。要は、日本語をきちんと読めていない、ということです。

多くの生徒たちは、文章が難しくなると、途端にその文章を読めなくなります。文章の表面的な難しさに惑わされて、日本語の文章構造が見えなくなるからです。こうした症状に自覚のない生徒や指導者が、「背景知識が無いから現代文を読めないんだ」と安易に結論付けている印象があります。

そもそも日本語読解能力の優劣と背景知識の有無とは何ら関係ありません。

現代文読解は文学研究ではない

語彙力と日本語読解能力さえ鍛えれば、背景知識に拘る必要はない、と僕は考えます(もちろん、難解な文章を抵抗なく、速く読みたいなら、背景知識はあった方が有利です)。

しかし、僕のような立場はおそらく少数派でしょう。巷の国語指導者たち(参考書類)は背景知識の必要性を強調します。何故でしょうか?

国語指導者たちの多くが背景知識を重視するのは、彼らが文系学部出身だからだ、と僕は思っています。

文系の学問、特に文学研究では、膨大な資料をもとに論理を組み立てるのが普通です。文学作品の解釈をしようと思えば、その作品以外の資料から情報を引用する必要があります。

●●説では「……」と書かれていて、▲▲説では「……」と書かれていることを勘案して、「~~」という一文は××と解するのが妥当である。

こういう研究手法に慣れてしまった文系学部出身者たちが、「現代文の読解でも豊富な背景知識が必要だ」と言うのではないでしょうか?彼らが背景知識を重視するのは、現代文読解を文学研究と同じ視点で捉えているからではないのでしょうか?

背景知識の無い状態でどう問題を解くか?

現代文の読解で背景知識に正解の根拠を求めるのはNGです。現代文では、本文に書いてあることだけから解答を作ることが求められるからです。

だからこそ、現代文の勉強では、背景知識を過度に重視してはいけません。背景知識の理解に時間を割くのではなく、「背景知識の無い状態でどう問題を解くか?」を徹底的に追及することが大切です。

トップ画像=フリー写真素材ぱくたそ / モデル=みき。

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