サピックスで国語が伸びない?『中学受験 SAPIXの国語』を読む

サピックスで国語が伸びない?『中学受験 SAPIXの国語』を読む 教育論

中学受験界業界で最大手の進学塾といえばSAPIX(サピックス)です。その洗練されたカリキュラムは、多くの中学受験生とその保護者から高く評価されています。御三家を初めとする最難関中学への合格実績は突出しています。

一方、「SAPIXに通っているけれども、国語だけ伸びない」という話もちらほら耳にします。この噂は本当なのでしょうか?本当だとすると、それはなぜなのでしょうか?

この疑問に対する一つの解が、『中学受験 SAPIXの国語』に書かれています。

国語の授業が早押しクイズ大会に

『中学受験 SAPIXの国語』の第2章は「小学3年生の授業」です。この章では、生徒たちと講師のやり取りが再現されています。

(講師は)それから「ほかには」とさらなる答えを言わせようとする。その都度、挙手する子だらけ。一回発言した子も、また違うことを思いついて手を挙げる。もうみんなわれ先に言いたがって夢中だ。(P44)

男の子たちは、講師に指されたくて夢中になって額に汗を浮かべているのではないかというくらい必死の形相だ。(P45)

こうした描写からは、授業に積極的な生徒たちの熱気も伝わってきて、「いい授業だなぁ」とつい思ってしまいます。しかし、これは、本質的にダメな授業です。というのも、国語の授業が早押しクイズ大会と化しているからです。

見ていると、自信満々でなんでもすべて挙手し、合っていようとまちがっていようと答えるチャンスを逃さないチャレンジャーもいれば、ムードメーカータイプでまちがっても受けねらいする子もいる。そういうタイプは男の子に多い。(P45)

国語の入試問題では、本文を丁寧に精査し、そこから解答の根拠を探す地道な作業を求められます。しかし、SAPIXの国語の授業は、そうした作業とは正反対の方向に突っ走っているのです。

低学年の授業ですから、「子どもの意欲を高めている」「自尊心は大事にしている」(P58)という点はすばらしいと思います。そして、何でもかんでも「本文に即して云々」と理詰めで考えさせることがよいわけでもないでしょう。

しかし、低学年の授業だからこそ、中学受験を勝ち抜かせるための「躾」をきちんとすべきなのも確かです。でたらめな発言をする生徒ばかりが目立って、それが授業のムードになっているようでは、進学塾の授業風景としてはアウトです。学校の国語の授業ではないのですから。

つまり、『中学受験 SAPIXの国語』の第2章には、生徒たちが楽しんでいる「だけ」の早押しクイズ大会の様子が描かれていて、そこからは「躾」が行き届いていないいい加減さが読み取れます。同時に、「国語だけ伸びない男子」が量産される構造が透けて見えます。早押しクイズ大会の猛者たち(=でたらめな発言をくりかえす男子たち)は、学年が上がるにつれて、どんどん国語の偏差値が下がっていくのです。

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「やりっぱなし」という無法地帯

第3章は「小学4年生の授業」です。この章で衝撃的だったのは、「小見出しはやりっぱなし。『正解』は教えない」というタイトルです。

文章を読むのは、25分かかった。ゆっくり読ませ、印をつけたり小見出しをつけたりする時間を与えていた。講師は音読のあいだ、子どもたちのテキストをのぞきこんで確認しているが、小見出しの採点はしない。

もちろん小見出しの正解も言わない。(P89)

この文章を読んだとき、「SAPIXって、中学入試の国語を解くための技術を教えているんじゃないの?」と僕は首をかしげました。

中学入試の国語には、明確な正解があります。その正解を導き出すためには、正しい読解法があるはずです。それをきちんと教えているのかと思えば……「やりっぱなし」って、いったい何のつもりですか?

子どもの成長を考えれば、「自由に考え発言できる雰囲気」(P106)が大切なのは言うまでもありません。しかし、この「自由な雰囲気」とは無法地帯のことではないはずです。

野球やサッカーでも、ルールがきちんと守られなければ、そもそもゲームとして成り立ちません。それは、国語の勉強に関しても同じです。何らかのルールがあり、何らかの基準があり、それらにもとづいて「正しい」「正しくない」が判定されるからこそ、勉強として意味を成すのです。

一方、第3章に描かれている授業風景は「やりっぱなし」。もっとも、講師は多少のフォローをしているようです。

自分が書いた小見出しが的はずれになっていないか、子ども自身が確認できるように説明しているが、「正解」を子どもに言わせないし、講師も言わなかった。(P99)

「正解を言えよ」と思うのは僕だけでしょうか?(笑)

国語の授業が道徳と化している

第4章は「小学5年生の授業」です。

このレポートでは、その白熱したやりとりのすべてを書くことはできなかったが、子どもたちは瞬時に手をあげ、指されてすぐ答えを言うと、続けて指された子が次の瞬間答えるといったふうで、めまぐるしい早押しゲームのようだった。(P152)

筆者自らが「早押しゲーム」と言ってしまっています(笑)。その「早押しゲーム」が、国語の勉強にとって有益なのでしょうか?

中学入試の国語は、自分一人の力で本文をきちんと読み、設問に答えるための情報をかき集める作業です。そこに求められるのは、暗記した知識を瞬時に答えるようなスピードではなく、多少時間がかかってもいいから正確に読解して答えるスキルです。このスキルは、自分一人で黙々と文章を読み考えることでしか培われません。そもそも、SAPIXの授業スタイルが国語の勉強に合っていない、と僕は思います。

さらに極めつけは次の言葉です。

自分の本音に気づかせ、葛藤させることで、その子自身の内面は豊かになると思います。(P156)

宮沢賢治の童話「虔十公園林」の読解授業の後に、担当講師が言った言葉です。これを読んだ僕は、「ずれてるな」と思いました。というのも、国語の授業が道徳と化しているからです。

入試国語の読解対策として大切なのは、あくまでも文章を正確に読んで的確に答える、という訓練です。その際に向き合うべきは、自分の内面や本音ではなく本文です。本文に書かれていることを忠実に理解する上で、自分のうちからわき起こる感情が邪魔になることは多々あります。したがって、僕が国語を指導する場合、「自分の気持ちを捨てて、本文に忠実に解きなさい」と生徒に指示します。

一方、第4章に登場した国語講師は、僕の立場とは正反対です。こういう授業を展開する講師は、生徒が国語で偏差値を落としたとき、何と言うのでしょうか?「内面の豊かさが足りないから読めないんです。精神年齢が低いことができない原因です」と言いそうですね。

公教育の国語が道徳化していることは、あちこちから批判されています。「進学塾の国語」は「学校の国語」に対するアンチテーゼであってほしい、と僕は思います。が、SAPIXの国語はそうなっていないようです。

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「自力で解く」のは6年生になってから

第5章は「小学6年生の授業」です。この章に書かれていることが一番真っ当でした。

6年生になると「自力で解く」ことが目的になる。

試験のとき、みんなで考えるわけにはいかないからだ。(P179)

とてもいいことが書かれているのですが、「ん?」と僕は疑問に思いました。

「自力で解く」のは6年生になってからなんですか?それって、遅過ぎませんか?

これでは、「国語だけ伸びない」という生徒がたくさん出てくるのは当然です。5年まで、「自力で解ける」ようになる授業を受けてこなかったのですから。

国語だけ伸びないのは子どものせいではない

『中学受験 SAPIXの国語』を読んで、「国語だけ伸びないのは、子どものせいではない」ということを僕は確信しました。

『中学受験 SAPIXの国語』で紹介されているような授業を受けても、中学入試の国語を解く力がつかないどころか、まともな日本語能力すら養われません。でたらめに発言し適当に言葉を書き殴る「雑さ」が刷り込まれるだけです。その悪影響が顕著に表れるのは男子です。

こうした授業の中でも、力を伸ばしていく生徒はいるはずです。しかし、彼らはSAPIXでなくても力を伸ばせるはずです。「SAPIXのおかげで国語ができるようになった」というわけではないでしょう。

「SAPIXに通っているけれども、国語だけ伸びない」という生徒(とその保護者)は、SAPIXの国語の授業が本当に機能しているのか、まずはチェックしてみるといいでしょう。

トップ画像=写真AC

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